タグを貼ってる余裕がないびょん…(千室)
2006年10月31日 わからないことがある。
毎年毎年、よくもまあ飽きずに誕生日など祝うものだ。確かに生まれた日ではあるが、それ以上の何だというのだろう。生まれてきてくれてありがとう、とよく言うが、出生に本人の意志は介在しない。礼を言われる筋合いはない。祭り好きの日本人らしいといえばそれまでで、文句を言う筋合いもないかもしれない。ただ、その行事が煩わしいことだけは確実だった。誕生日という日の重要性が、室町十次にはわからない。
「誕生日おめでと!……なんでそんな顔すんの…?」
「……別に」
怪訝そうに首を傾げる千石に、室町はようやくその一言だけを返した。内心で自分を非難する。誕生日おめでとう、ありがとうございます。そんな定型句さえ口に出せず、その上感情を顔に出してしまうとは情けない。
「あの…ねえ、俺なんか気に障ることしたのかな、怒ってない?」
「怒っちゃいません」
努めて笑顔を作り、室町はありがとうございますとお決まりのセリフを口に出した。国語の授業で言う枕詞みたいなものだ。おめでとうにはありがとうと返す。
「無理に笑わなくてもいいよ」
「そうっすか」
それきり、千石が黙ったので室町も黙る。二人きりの帰り道が沈黙に包まれるのは珍しい。
まずかったな、と室町は、横目に千石を映しながら思った。後悔が彼を包む。
誕生日という行事が煩わしいのは本当だ。祝わなくては気が済まないらしい千石の気性も少し煩わしい。ただそれを差し引いても千石のことが好きだった。いつだって人の輪の中心で好意に囲まれている千石が、いつだって人の輪から外れて無関心に囲まれている自分を、性別の壁を乗り越えてまで恋人に選んだことは彼の誇りだ。男同士、認められない関係であるということは彼にとってはさしたる問題ではない。ようはバレなければ良いのだから。しかし千石はそうではない。人前で手が繋げないことを、キスができないことを、男同士だということを、笑顔の裏でひどく悩んでいることを室町は知っている。どこまでも大雑把な室町に比べ、千石は面倒なところで繊細だ。傷つけてしまったのだろうか。悩みの種の性別を持ち、隠していた感性の溝までをも露呈してしまった自分はそれこそ煩わしいほどに重たいことだろう。手放されてしまうだろうか。こっそりと溜息をつけば、それ自体が後悔の正体であるかのように胸が詰まった。
胸の苦痛を紛らわそうと強く拳を握った室町に、ふと千石が顔を向けた。
「室町くん」
「はい」
「お前は、こういうのがあんまり好きじゃないんだね?」
見透かされてしまえばもう隠す意味もない。覚悟を決めて頷いた室町に、千石は目を細めて笑って見せた。目の端と口の端に笑い皺が寄る。声を出して大笑いする笑顔が夏の快晴なら、たまに見せるこの笑顔は快活な強さの和らいだ薄曇りの春の日差しだ。雲の切れ間から降り注ぐ、弱いが暖かく柔らかい光だ。
「それもいいね」
ゆっくりとそう言って、千石はそっと目を伏せた。伏せた視線はおそらくは歩く爪先。笑い皺を刻んだまま、彼はまた口を開いた。
「お前が何思ってんのかはわかんない。言う気がないなら言わなくていいよ。でも俺は言いたいから言うよ」
「……聞きますよ」
ついつい素っ気無い言葉を返し、室町も千石の真似をして爪先に視線を落とした。汚れたスニーカーが一定の間隔で交互に地面を蹴る。
「まいにち大好きなお前に会えるって、ほんとはすごく特別で幸せなことを、当然だと思うのは贅沢だよな。誕生日が来ると、唐突にそれを思い出すんだ」
独り言のように低い声を聞き漏らすまいと室町は耳を澄ます。鼓膜を震わせる振動は心地良い。
「だから、それに気付ける誕生日を祝うのが俺は好き。だけどちゃんと毎日覚えてて、だから特別祝わないってのも、いいね」
返す言葉が見つからず、室町は代わりに千石の手を一瞬だけ握った。すぐに離してポケットに突っ込む。驚いて顔を向けてくる千石をわざと無視して真っ直ぐ前を見た。
千石と自分との間には、性別と感性の溝がある。それはとても深くて、埋めることは到底不可能だ。それでも伸ばせば手は届く。存在への感謝と肯定、千石が無条件に与えるそれは溝を確実に狭めている。
「でもせっかく買ったんだ、これは貰ってよ」
いつ出したのか、目の前に出てきた千石の手には青い小さな紙の袋が載っていた。貼り付けられた白いリボンが、それをプレゼントだと示している。
「俺はね、お前が大好きだよ」
室町を見詰める千石の明るく澄んだ茶色の目に、本人までもが呆れるほど幸せそうな笑顔が映った。
--------------------------
おたんじょうびおめでたう。
毎年毎年、よくもまあ飽きずに誕生日など祝うものだ。確かに生まれた日ではあるが、それ以上の何だというのだろう。生まれてきてくれてありがとう、とよく言うが、出生に本人の意志は介在しない。礼を言われる筋合いはない。祭り好きの日本人らしいといえばそれまでで、文句を言う筋合いもないかもしれない。ただ、その行事が煩わしいことだけは確実だった。誕生日という日の重要性が、室町十次にはわからない。
「誕生日おめでと!……なんでそんな顔すんの…?」
「……別に」
怪訝そうに首を傾げる千石に、室町はようやくその一言だけを返した。内心で自分を非難する。誕生日おめでとう、ありがとうございます。そんな定型句さえ口に出せず、その上感情を顔に出してしまうとは情けない。
「あの…ねえ、俺なんか気に障ることしたのかな、怒ってない?」
「怒っちゃいません」
努めて笑顔を作り、室町はありがとうございますとお決まりのセリフを口に出した。国語の授業で言う枕詞みたいなものだ。おめでとうにはありがとうと返す。
「無理に笑わなくてもいいよ」
「そうっすか」
それきり、千石が黙ったので室町も黙る。二人きりの帰り道が沈黙に包まれるのは珍しい。
まずかったな、と室町は、横目に千石を映しながら思った。後悔が彼を包む。
誕生日という行事が煩わしいのは本当だ。祝わなくては気が済まないらしい千石の気性も少し煩わしい。ただそれを差し引いても千石のことが好きだった。いつだって人の輪の中心で好意に囲まれている千石が、いつだって人の輪から外れて無関心に囲まれている自分を、性別の壁を乗り越えてまで恋人に選んだことは彼の誇りだ。男同士、認められない関係であるということは彼にとってはさしたる問題ではない。ようはバレなければ良いのだから。しかし千石はそうではない。人前で手が繋げないことを、キスができないことを、男同士だということを、笑顔の裏でひどく悩んでいることを室町は知っている。どこまでも大雑把な室町に比べ、千石は面倒なところで繊細だ。傷つけてしまったのだろうか。悩みの種の性別を持ち、隠していた感性の溝までをも露呈してしまった自分はそれこそ煩わしいほどに重たいことだろう。手放されてしまうだろうか。こっそりと溜息をつけば、それ自体が後悔の正体であるかのように胸が詰まった。
胸の苦痛を紛らわそうと強く拳を握った室町に、ふと千石が顔を向けた。
「室町くん」
「はい」
「お前は、こういうのがあんまり好きじゃないんだね?」
見透かされてしまえばもう隠す意味もない。覚悟を決めて頷いた室町に、千石は目を細めて笑って見せた。目の端と口の端に笑い皺が寄る。声を出して大笑いする笑顔が夏の快晴なら、たまに見せるこの笑顔は快活な強さの和らいだ薄曇りの春の日差しだ。雲の切れ間から降り注ぐ、弱いが暖かく柔らかい光だ。
「それもいいね」
ゆっくりとそう言って、千石はそっと目を伏せた。伏せた視線はおそらくは歩く爪先。笑い皺を刻んだまま、彼はまた口を開いた。
「お前が何思ってんのかはわかんない。言う気がないなら言わなくていいよ。でも俺は言いたいから言うよ」
「……聞きますよ」
ついつい素っ気無い言葉を返し、室町も千石の真似をして爪先に視線を落とした。汚れたスニーカーが一定の間隔で交互に地面を蹴る。
「まいにち大好きなお前に会えるって、ほんとはすごく特別で幸せなことを、当然だと思うのは贅沢だよな。誕生日が来ると、唐突にそれを思い出すんだ」
独り言のように低い声を聞き漏らすまいと室町は耳を澄ます。鼓膜を震わせる振動は心地良い。
「だから、それに気付ける誕生日を祝うのが俺は好き。だけどちゃんと毎日覚えてて、だから特別祝わないってのも、いいね」
返す言葉が見つからず、室町は代わりに千石の手を一瞬だけ握った。すぐに離してポケットに突っ込む。驚いて顔を向けてくる千石をわざと無視して真っ直ぐ前を見た。
千石と自分との間には、性別と感性の溝がある。それはとても深くて、埋めることは到底不可能だ。それでも伸ばせば手は届く。存在への感謝と肯定、千石が無条件に与えるそれは溝を確実に狭めている。
「でもせっかく買ったんだ、これは貰ってよ」
いつ出したのか、目の前に出てきた千石の手には青い小さな紙の袋が載っていた。貼り付けられた白いリボンが、それをプレゼントだと示している。
「俺はね、お前が大好きだよ」
室町を見詰める千石の明るく澄んだ茶色の目に、本人までもが呆れるほど幸せそうな笑顔が映った。
--------------------------
おたんじょうびおめでたう。
コメント